北欧研究所 石本千智
バリアフリー環境の整備は、各国で重要な社会政策課題となっています。日本でも、駅のエレベーターやスロープの設置、ノンステップバスの導入など、物理的な障壁を取り除くことで、アクセシビリティ改善が進められてきました。しかしその多くは、「高齢者や障害を持つ人々が困らないように、安全に移動できるようにする」といった、支援を必要とする者への配慮という文脈で語られることが多いような印象を受けます。一方、デンマークでも日本と同様に、スロープや駅のエレベーターといったバリアフリー設備は広く整備されていますが、「何のために整備するのか」という目的意識に違いが見られます。デンマークにおけるバリアフリーとは、単なる物理的障壁の除去だけではなく、高齢者の自立と社会参加を前提とした環境設計の一部として位置づけられているのです。
筆者自身、デンマークで生活を送る中で、日本と比べて「支援されること」よりも「自分でできる領域を維持する」が前提となっている社会設計に印象を受けます。本稿では、その背景にある高齢者政策と具体的な都市・デジタル事例を通じて、デンマークのバリアフリーのあり方について見ていきましょう。
世界的な水準で見ても、日本とデンマークはいずれも高齢化先進国であり、社会の中でもバリアフリー設備は広く普及しています。しかし、両国の間には、その思想的基盤に違いがあります。
日本では、高齢者や障害者が「困らないようにする」「安全に移動できるようにする」という発想が強く、例えば駅では駅員がスロープを出して介助する、あるいは車椅子利用時にスタッフ対応が前提となるケースが多く見られます。つまり、支援者の存在を前提としたバリアフリーの仕組みが中心です。一方で、デンマークでは、なるべく誰の手も借りずに自律していくことが重視されています。「アクティブ・エイジング」の枠組みの中では世界的にも強調されていることですが、デンマークの高齢者政策の中核には、「可能な限り自律した生活を維持する」という理念があります。また、介護サービスの提供に先立ち、「リハビリテーション優先」の考え方が広く導入されています。つまり、すぐに支援を提供するのではなく、まず本人の機能回復や能力維持が重視されているということです。たとえば、転倒後に歩行能力が低下した高齢者に対しても、すぐに介助中心の生活へ移行するのではなく、理学療法士や自治体サービスを通じて再び自力で移動できる状態を目指します。これは単なる医療的アプローチではなく、高齢者の社会参加を維持するための戦略でもあります。
デンマークのバリアフリーを象徴する非常に興味深い事例に、2019年よりコペンハーゲン市が取り組んできた「A City for All - Senior Friendly Copenhagen(皆のための都市―シニアフレンドリーコペンハーゲン)」プロジェクトがあります。このプロジェクトでは、高齢者住民とともに街を歩きながら課題を抽出する 「walks and talks(散歩と会話)」 が実施されましたが、この中で特に重視されたのが、歩道の段差解消だけでなく、移動途中に休憩できるベンチの配置でした。日本ではバリアフリーというと、エレベーターやスロープ、手すりといった設備をまず想像します。しかしデンマークでは、「途中で座れる場所があること」が外出の継続に直結するという視点が共有されています。高齢者にとって、目的地まで行けるかどうかは、歩道の幅やスロープの有無だけではありません。途中で一度座って休めるかどうかが、買い物や散歩、地域活動への参加意欲を大きく左右します。つまり、移動能力そのものではなく、外出する意欲や継続的な社会参加を支える心理的条件にも深く貢献しています。このようにデンマークでは、高齢者のためのバリアフリー設備は、単に生活のしやすさを向上させるだけでなく、自己効力感や自尊心の維持にも寄与する可能性が必要だ、といった見方がされています。
デンマークでは行政・医療サービスのデジタル化が非常に進んでいます。医療予約、行政手続き、税務処理など、多くがオンラインで完結します。そのため、こうした動きは高齢者にとって新たな障壁となるのではといった懸念が挙がるかもしれませんが、一方でデンマーク政府は、どの世代もデジタル社会から取り残さないように、「デジタル包摂(Digital Inclusion)」を重要な政策課題として位置づけています。例えば、図書館や自治体によるIT講座、スマホ教室、デジタル窓口支援といったように、高齢者がオンラインサービスを利用できるようになるための環境が公共の場で広く提供されています。デンマークでは、日本でいうマイナンバーのような、個人番号「CPRナンバー」は1968年から導入されており、これに基づいて医療診察の予約から銀行口座開設など全てが紐づいている(過去記事「高齢者のための、デンマークの図書館アクティビティ―ノアブロ図書館の活動をご紹介―」参照)デジタル社会ですが、こういった手厚い取り組みの支えにより、デジタル環境が単なる効率化手段ではなく、高齢者の自己決定を支えるツールとして機能しています。
このように、デンマークのバリアフリーは「障壁除去」という消極的な概念ではなく、自立・社会参加・自己決定を支える包括的な環境設計として社会に取り込まれています。老年精神学という学問では、自律性(autonomy)、有能感(competence)、関係性(relatedness)の三つが心理的健康の重要な要素とされています。デンマークの環境設計は、単なる福祉施策ではなく、これら三要素を日常生活の中で自然に支える構造を持っており、高齢者が主体的に生きることを可能にする社会基盤があると言えるでしょう。日本においても、今後は「支援する・される」という枠組みを超え、環境設計の段階から自立を前提とする視点が求められていくのではないでしょうか。
参考文献
石本千智. (2025/02/04). 高齢者のための、デンマークの図書館アクティビティ―ノアブロ図書館の活動をご紹介―. デイチャーム株式会社. https://dignitycharm.co.jp/columns/296
Agency for Digital Government. Digital Inclusion. https://en.digst.dk/digital-services/digital-inclusion/ (2026.04.20閲覧)
Center for Self-determination Theory. The Theory. https://selfdeterminationtheory.org/the-theory/ (2026.04.20閲覧)
COurban. Senior Friendly Copenhagen - A City for All. https://courban.co/project/cityforall/ (2026.04.20閲覧)
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Nordregio. (2025.07). Beyond segregation: Nordic approaches to socially inclusive cities. https://pub.nordregio.org/r-2025-7-beyond-segregation-nordic-approaches-to-socially-inclusive-cities/beyond-segregation.pdf
Stald, G. B. (2016). Old citizens, new logics: Digital literacy and elderly citizens in Denmark. Abstract fra Becoming old in the age of mediatization, Copenhagen, Danmark. https://pure.itu.dk/da/publications/old-citizens-new-logics-digital-literacy-and-elderly-citizens-in-/
World Health Organization. (2025.09.29). World report on ageing and health. https://www.who.int/publications/i/item/9789241565042