北欧研究所 畑岡美代
2025年3月時点で、デンマーク国内には、65歳以上で認知症をわずらわっている人が、約100,000人います。平均寿命が上がることに伴い、2040年までにこの数は145,000人に達すると見積もられています。
認知症を患っている方々の特徴の一つに、昔のことの方が思い出しやすいという傾向があります。この傾向を用いて、2020年以来、デンマーク映画協会(Det Danske Filmstitut )は、研究者、介護者、親族、そして認知症患者と協力し、古い映画を通して人々の記憶を呼び覚ます試みを行っています。「メモリーシネマ」はその取り組みの一環で2022年にパイロットプロジェクトとして、実施されました。
メモリーシネマは、認知症患者とその家族や介護を対象者として企画されました。昔の映画を見ることで、認知症患者の記憶を呼び戻し、会話のきっかけを作ることを狙いとしています。メモリーシネマは、どのような映画なのでしょうか。映画の構成としては、1950年代、1960年代に撮られたドキュメンタリーや映像クリップからなっています。鑑賞することで、当時の生活を思い出すことにつながるような作品があえて選ばれているのです。プロジェクトの開始から今まで、映画館での上演はもちろんのこと、介護施設で職員らがオンラインで映画にアクセスをし、それを施設内で上映するという取り組みも行われています。
元々、デンマーク映画協会には2000を超える、歴史的なドキュメンタリーが所蔵されており、すでにオンラインで視聴可能な仕組みが整えられていました。このオンラインで所蔵作品が見られるという仕組みがあったことで、メモリーシネマの発想につながったようです。
このメモリーシネマは「回想法」という、高齢者に対する心理学的療法で用いられることの多い手法を用いています。回想法とは、アメリカ人精神科医のロバート・バトラーによって提唱された認知療法です。高齢者の階層に対して、聞き手が、共感することで、高齢者のうつ状態の改善、心理的安定、高齢者自身の人生の再評価やアイデンティの強化、対人関係の形成を図ろうとするアプローチです。認知症患者に対する継続的な回想法治療によって、行動面、コミュニケーション面における、能力の維持につがなるとともに、介助者側も患者のことを知ることのよって仕事の満足度も上がったことが報告されています。
とある介護施設の活動支援員は「孤独は認知症の方にとって最大の課題の一つです。私の仕事では、スタッフが会話を始め、対話を続けるための支援に力を入れています。映画は会話のきっかけとなり、私たちに新たな視点を与え、共に働く方々との距離を縮めてくれるのです。」と語っています。
メモリーシネマプロジェクトのマネージャーは「多くの親族の方々から、認知症の方には通常の映画の筋書きを理解するのが難しいため、何年も映画館に行っていないというお話を伺っています。ドキュメンタリーを見て記憶を呼び戻すというプロジェクトは、一緒に鑑賞する映画として適しているでしょう。」と語っています。
メモリーシネマに参加した認知症患者の家族は「夫は短期記憶が完全に失われてしまったので、こうして座って映像について語り合うことで、昔の記憶が蘇るんです。本当にありがたいです!ぜひもっと開催して欲しいです。素晴らしい取り組みだと思います。」と語っています。
メモリーシネマに参加した認知症患者は「最後に映画館に行ったのはずいぶん前のことです。少年時代は、ロスキレの映画館によく行っていました。ロスキレ(デンマークの中規模都市)には3つの映画館がありました。日曜日の午後4時の上映を友達とよく見に行ったのを覚えています。あれは楽しかったですね。」 と語っており、昔のことを思い出していることが伺えます。
実証実験が行われたとある映画館の様子(https://www.dfi.dk/en/english/memory-cinema-nationwide-initiative-people-dementia)
認知症になったら観てもわからないから映画はもう見ない、見せない、というのではなく、認知症の方でも楽しめる映画を、というポジティブな発想がおもしろいですね。また、昔のドキュメンタリや暮らしから、そして認知症患者の記憶から、非認知症患者も学べることも多くあります。認知症の方の新しいアクティビティとしておもしろい発想といえるのではないでしょうか。また、コミュニケーションは脳を刺激し、認知症の進展を防ぐことにも通じます。認知症の有無や世代の違いを超えた交流に、昔の映画を観るというのは有効なことなのでしょう。
Danish Dementia Research Centre. “Dementia in Denmark”. https://videnscenterfordemens.dk/en/dementia-denmark (閲覧日:2026年6月7日)
Danish Film Institute.”Memory Cinema – a nationwide initiative for people with dementia”.https://www.dfi.dk/en/english/memory-cinema-nationwide-initiative-people-dementia. (閲覧日:2026年6月7日)
吉岡久美子. “高齢者の回想 (法) に関する展望”.https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/829/KJ00000700556-00001.pdf. (閲覧日:2026年6月7日)
Columbia University Libraries. “Alumni Profile:Robert N. Butler:Pioneering Gerontologist Promotes Respect for "Our Future Selves“. https://wayback.archive-it.org/1914/20171224193745/http://www.cumc.columbia.edu/psjournal/archive/fall-2005/alumni.html#Alumni. (閲覧日:2026年6月7日)